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Enryaku-ji Interview  

Geo Story  

比叡山延暦寺
「 伝教大師 最澄の教え 」
水尾寂芳 執行
特別インタビュー
 

 
宗祖 伝教大師最澄 の1200年大遠忌を迎えて

 1200年というのは非常に大きな節目でして、私ども50年ずつそういうふうに第4期ということをしてますけれども、50年一遍ですから、それぞれの人は1回しかそういう機会がない、そういう大事な節目を迎えて特に天台宗の中では何親等の方や、そういった方々が比叡山登っていただいて、抱擁していただく。そういうこと、ずいぶん計画をしています。
 また、延暦寺からはともしびを持って全国を回るといったことも計画をしてました。それから他宗派の方々、比叡山天台宗と非常に縁の深い教団の方々にも、比叡山に上がってきて頂こうという計画がありましたけれども、そういったことがコロナ禍のためにそれができませんでした。その代わりに、一般の人々に対して、色々な発信ができたと思ってます。
 今までのこういった行事においては、天台宗内や、内側を見てたような気がしますけれども、今回は、色々な発信の仕方で、一般の方々や、新聞や、映像であったり、また駅の構内にパネルを設置したりや、そうしたことで、伝教大師の力や、伝教大師の業績を理解していただけることが出来たのではないかと思ってます。それでも特に東京や九州の国立博物館「最澄と天台宗の全て」展が行われ、これを契機に、一般の方々へのお知らせがですね十分できてるんじゃないかと思ってます。それらも皆様方のご協力のおかげでもあります。また、山の上では2022年の秋から伝教大師にとって特に大事な二つのお堂を特別拝観して頂き、お参りしていただくということを行っております。戒壇院という戒律を授かるお堂と、そして法華総寺院東塔という、密教と法華経が合体した建物ですね。弊社にとっては非常に大事な建物です。今までもお参りして頂いていましたけれど、今回は中を特別拝観して頂き、皆さんから参拝していただけることお待ちしておるようなことです。
 

 

一隅を照らす

 一隅という言葉がですね。隅っこを照らすというか、狭いところを照らすというそういうイメージがあるかもしれませんけれども、そこだけはしっかり申し上げておきたいのは、一隅というのは「自分に任された場所」、「自分のいる場所」というふうにお考え頂いて、「自分のすべき場所がある」と、それをしっかり照らしていくということが「国の宝」、そういう「人」が国の宝であるというのが伝教大師の言葉であろう、あの想いであろうと思います。ですので、一隅の広さではなくて、ここにおいて私がなすべきこと、身の回りで「今、何が一番必要なのか」。そういったことを考えながら「ここには私しかいない」というような、そういう思いで人々の行動に結びつける。そういう言葉だと思います。
 色々な方がこの自分を照らすという言葉を聞いて、それぞれにお考えいただいて、行動に結びつけておられるということを感じます。それぞれの解釈がいろいろ結構あると思いますけれども、例えば、ある国で凶弾に倒れた中村哲先生、お医者さんでもありますけれども、自ら土木工事をされ、自分で用水路を作る実践をされた方ですけども、この方も「一隅を照らす」という言葉を一つ自分の心に置いて「自分が今なすべきことは何か」、「一番必要とされていることは何なのか」と、そういったことを考えられて、お医者さんでアフガニスタンに行かれたわけですけれども、一番必要なのは干ばつの中で、水道施設が必要だということで、自ら工事に携われたという中で、その「一隅を照らす」という言葉をおっしゃってくださってました。私はそれが非常に意に感じた次第です。それぞれの方が、この「一隅を照らす」という、この言葉を考えて、自分の行動に結びつけていただいてるということが大事だと思っています。
 

 

 全ての生命を尊重する

 全てのものに命があり、その命を尊重することが基本だと思います。比叡山のには「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」」という教えがあります。自然界の全て、動物も植物も山も川もしっかりと仏になると、そういうことはですね。私どもでは「山川草木皆仏(さんせんそうもくみなほとけ)」というスローガンで、この10年間の活動を進めてきました。
 全てのものに命があり、それを尊重していくということだろうと思います。今日の中にも、地水、大地の地、水、そして火、地水火風空と言いますけれども、そういった物質的なものですけれども、それは実は私達の体を構成しているものでもあるし、そういう意味では全てのものと我々は繋がっているということでもあろうと思います。
 また「悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」。山や川がどうやって仏になるのかというようなことも、もちろんはてなと思われるかもしれませんが、この自然界というのは、私自身がそれぞれその自然界に生きている者たちが、悟りを開くというか、そうすれば、世界も変わるんですね。
 自分が変わると世界も変わるとそういう意味合いにおいて、「悉皆成仏」という言葉もあるのかもしれません。今の我々にとって、全てのものに命を見て、それを尊重し大事にす。それが自分自身、また人を大事にすることでもあるということじゃないかと思います。
 

 

 五観の偈(ごかんのげ)

 比叡山延暦寺に限らないことですが、今日の修行者の食事というか、そういったものはこの比叡山でも、そういう伝統といいますか昔からの教えに従って、行っておるというふうに思います。
「五観の偈(ごかんのげ)」といいまして五つのことを、食事のときには考えないといけないということが仏教ではいわれています。
 一つには「功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る」とありまして、自分の目の前に出てきたこの食事がいろんな人たちの手によってここにある。生産する人、運ぶ人、料理をする人、いろんな方々の手を経て、目が前に来ている。そういったことをしっかり考えなさいと。
 二つには、「己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。」。自分自身がそういったありがたい食事人をいただくだけの値打ちや資格があるのか、自分の行為を反省しなさい。そういうこと、
 それから「心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
」別には心を重藤が離れること。「「貪・瞋・癡(とんじんち)と言いますけれども、美味しい食べ物に対しては、貪りという言葉、心が働くでしょうし、人美味しくなかったり、量が少なかったりしたらもしかしたら、憤るかもしれません。
また、何も考えずに食べるというのと人知の地位に立てる。考えるべきことがしっかりあるのに何も考えずに、ただただ食べる。そういったことを戒めた言葉ですね。そういったことが三つ目にあります。
 「正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。」食事は薬であるという、そういうつもりで食事をしなさい。ですから、食べ過ぎたりとかそういったことではなくて自分の体を維持するための薬であると。そういうことで食事をいただきなさい。
 そして「成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。」この仏道修行を行うために食事を行いなさい。そういうことを最後にもう一度考えて食事をしなさい。これは比叡山に限らず、今日の修行者の共通の五観、五つの観ずべきこと。比叡山では、延暦寺会館で一般の方々に食事を召し上がっていただくときも、食事は精進料理といいまして、肉魚は山の上では出しません。
 そして今、申しました食前観、食後観と言いまして、食事の前に唱えること、食事の後に唱えること、これも色々なところで其々に教えてもらえることだろうと思いますけど、比叡山でも、今申しました他に準ずる、そういった言葉を捉えていただいて食事をとっていただいてます。
 食事は残さないといった、出てるものは全て頂戴するということです。それだから、洗鉢(せんぱつ)といいまして、いただいた器をしっかりお茶で最後に全部洗って頂戴すると、そういったことも、これも共通の食事の作法であろうと思います。比叡山でもそういったことを修行者は行ってますし、また一般の方々にも比叡山で特に使用したいという場合は、そういう食事の方法をお教えしたりして、ご一緒したりもします。
 音を立てないというのが一つ大きなことですね。最初はそれが非常に大変で、皆さんには負担になるかもしれませんけども、音は立てずに、洗鉢もして綺麗に頂戴するといったことが、今日の食事の一つの特徴かなと。比叡山でもそれを行っております。
 

 

食前観と食後観

 比叡山で食事を一般の方々がされるときに、先ほど申しました、食前観、食後観というのがあって、修行僧を行う五観の意味合いをまとめたような唱えがあります。それを申し上げますと、食事の前には「われ今(いま)幸(さいわい)に、仏祖(ぶっそ)の加護(かご)と衆生(しゅじょう)の恩恵によって、この清き食(じき)を受(う)く。つつしんで食(じき)の来由(らいゆ)をたずねて、味の濃淡(のうたん)を問わず。その功徳を念じて品(しな)の多少をえらばじ。いただきます。」
先ほど申し上げました五観の内容を納めるとそういうことだと思います。
 食後感は「われ今、この清き食(じき)を終わりて、心ゆたかに力(ちから)身(み)に充(み)つ。願(ねが)わくは、この心身(しんじん)を捧(ささ)げて己(おの)が業(わざ)にいそしみ誓って四恩(しおん)に報(むく)い奉(たてまつ)らん。ごちそうさまでした。」ということですね。これも言葉として、口で聞いただけでは、耳で聞いただけで難しいかもしれませんけれども、文字を見ながら唱えていただいたら幸いと思います。

天台宗総本山 比叡山延暦寺

 
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